校章にまつわるはなし

先日、第126回創立記念式典が行われました。伝統ある久商生としての自覚を深めてもらうために、ここで改めて久商の校章についてお話しようと思います。

まずは校章の由来についてです。
本校は1896年(明治29年)に福岡県最初の公立商業高校として創立されました。当時の日本は、急速な近代化と国際的な地位の確立を迫られ、商工立国・海外貿易にその活路を見出そうとしていました。 その促進に商業教育は不可欠なものであったからです。よって校章もその思いが表れたものになっていました。

初代の校章は、ローマ神話に登場する商業の神であるマーキュリー(Mercury)の杖(二匹の蛇が巻きつき、頂きに翼が羽ばたいている)に由来していると言われています。その後『桜錨』の校章に変わりました。

昭和19年~昭和21年の第2次世界大戦後期には商業よりも工業を推進するという国の政策で商業高校から工業高校へ転換した時代がありました。校章も桜の中心にある”C”のマークから”工”というマークへ変わりました。

終戦後、工業高校から商業高校へ戻り、校章も今の校章に戻りました。それぞれの意味を紹介します。

桜 : 日本の国花の一つである桜で平和
錨 : 船のイメージから海外交流
C : Commercial(商業)
鎖 : S字型でSchool(学校)

制服の変遷

創立当初は男子校で制服もガクランでした。1950年(昭和25年)から男女共学が始まりましたが最初のうちは女子の制服はなく、修学旅行も女子はなかったりと現在の共学とは全く違うものでした。その後1957年(昭和32年)に女子の制服が統一され、1962年(昭和37年)から女子の制服の左袖に校章ワッペンが付けられました。1992年(平成4年)には男子の制服がガクランからスーツに変わり、その後も少しずつ改良を重ね、2020年(令和2年)から多様性を重視し生徒自身で選べるように制服のバリエーションを増やしました。

● 昭和36年ころの制服
男子はガクランですが、袖に今も引き継がれている白いラインがあることがわかりますか?

● 今の制服
多様性を考えバリエーションが増えています。

落雁

また、卒業式の日には卒業祝い品として落雁が配られていますが、その落雁も校章をかたどったものです。正確な年度はわかっていませんが大正時代から落雁が配られていたそうです。ざっと計算しても100年続いていることになります。落雁とは、穀類の粉に砂糖や水あめなどを入れて練り、木型に押して乾燥させたお菓子です。大正時代の落雁は小判型で、表には初代の校章が、裏面には久留米商業高校の名前が木型で作られていたそうです。昭和47年から現在の型に代わり、桜の花の中心に校章が入っている木型で作られています。その時から木型はずっと使われてきており、令和4年3月3日に行われた卒業式の日にもこの木型で作られた落雁が卒業生に配られました。

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